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3.31.2016

サンフランシスコベイエリア不動産事情2016

2015年4月末のデータだが、サンフランシスコ市内(「ベイエリア」は含まないということになる)の家賃の平均4225ドル(現在のレートで45万円相当)だとツイッターで見た。一戸建ての値段は今や一軒1億以上で、それ以下では良いご近所さんとは言えない環境のものしか無い。しかも売りに出てわずか一週間後には売値に東京郊外で新築マンションがキャッシュで買える程のプレミアが着いた上で売れてしまう。あれから丸一年経ったが、その「平均」はさらに高くなっていると思われる。あれ以来、特に「バブルがはじけた」とか「〇〇が不調」とかは一切耳にしないからである。

断っておくが、オレは不動産屋でもその分野に詳しい訳でもない。この地域の住民の一人に過ぎない。が、こうやってのんびりとブログ記事を書く事が出来るのも月々の家のローンが8万円だからなのだろう、と思っている。2008年のいわゆるリーマンショックの影響で自宅の値段は約30%落ちたが、現在は買値の30〜40%増しの値段で売れるようだ。売って別のご近所さんでもっと良い家に住みたいと思うのはやまやまだが、到底アフォード出来るものではないからじっと今の家に居るつもりである。

不動産企業で働く知人によればこの地域における中国人による不動産の爆買いは収まってきたらしいので、単にあの連中が市場を高騰させているとは言えない状況のようではある。が、一戸建てからコンドミニアムのお値段から一般賃貸物件の家賃に至るまでこの地域の居住費はアメリカ国内で群を抜いて高いという点には変化は無い。

こういう状況下で生活していると、毎年帰省する際、例えば東京の世田谷区の2LDKのアパートの家賃が25万とか聞くと「めっちゃ安いやん!」と思ってしまうのだ。うっかりそれを口にしてしまうと、「またまたぁ〜 Tさんはシリコンバレーの一流企業でバリバリやっておられるからぁ」と冷やかされるのがオチなのでなるべく会話ではその話はしないようにしている。実際はこちらでの給料がどうのこうのではなく、こちらでの不動産事情、居住事情がやたら高く、そんな中で日常生活を送っているからだけなのだ。

ある意味、こういう経済感覚を持てるのは有利である。物価や居住費が高いニューヨークやヨーロッパの主要都市へ行ってもそう大して驚く事もなく、割と普通に旅が出来る。日本へ行けば東京を含めてどこでもそれほどの帰省コストを懸念しなくても済む。

逆に日本からこの地域へ旅行に来る人たちにとっては大きな負担になるだろう。さらに大学留学となると、不動産同様に高騰を続ける大学の授業料(これは現地のアメリカ人の親たちにとっても大きな頭痛のタネになっている)以外に法外とも言える家賃の心配もしなければならず、実現が遠のく方も多いのではないだろうか。

ではこのトレンドはこれからどうなるのか。このバブルもいつかははじける。それが何が原因でどのようにもたらされるのかは全く不明だ。この地域のローカルサイトなどでは家賃5000ドルも出てきている。しかもごく普通に。考えられるのは中国経済の失速と(起こって欲しくはないし、あってはならない事なのだが)テロや戦争の影響、などが人為的な原因として可能性がある。あるいは天災であろう。アメリカからカナダにかけて西海岸は大地震がいつ起こっても不思議はないとされているから、先ずそれが頭に浮かぶ。

前述の不動産企業に居る知人は2017年は経済市場の低迷が予想されると言ってはいるが、さて、どうなる事か。

1.30.2014

日本は普通じゃない

日本は清潔さやサービスの良さなどで世界的に群を抜いている。物騒な事件が起こるとは言いつつも、治安の良さでも国際的には最高レベルだと言える。サービスの質の高さと平行して日本人の平均的な勤勉さやプロ意識も同様だ。

海外から訪れる人たちの目には良い意味で異様な光景に違いない。日本滞在中にはたと気付いて、ここまで目を配るのか、そんな事までするのか、と関心したり目を見張ったりするわけである。日本人にとってこれらのことは当たり前であって特別な事でも何でもなく、それを有り難く思う感覚も麻痺していると思われる。

そんな日本人がその有り難さを痛感するのは海外へ出かける時だろう。下手をすれば外資系の航空会社の飛行機に乗り込んだ瞬間からそれを思い知らされる羽目になる。日本の外に出た人で、しかも何らかの体験をしないと日本の特殊性には気付かない。



一ヶ月間ウォッシュレット無しで生活して日本に戻って来る事を想像してみれば良い。僕は日本滞在からカリフォルニアに戻って僅か数日後にはケツが痛くなる。このケツの痛さは国内でウォッシュレット完備をほぼ実現した日本の外ではごく普通の現象であると想像せざるを得ない。

清潔、質の高いサービス、細かい気遣いなどのレベルの高さを「世界で日本だけで他の国には無いもの」と初めて認識するのだ。角度を変えた言い方をすれば、日本の外でこうした日本の良さを要求したり期待するのは文字通り場所違いなのだ。

例えば、日本のサラリーマンが出張でフランスへ行く。フランスでは昼食にも時間をかけ、昼間からワインも飲む。その勤勉な日本人サラリーマンは帰国してから同僚にこんな風に報告する。

「パリで先方の社員と昼飯食ったんだけどね、連中ったら昼間っからワイン飲みやがってさ、あれじゃ仕事になんねぇよ。フランス人って怠け者なんだな。プロジェクトの話が進まなくてさ〜。」

勤勉さが国民性の一部である日本人にしてみればそういう見方もあるだろう。別の見方をすればこうなる。

「パリで先方の社員と昼飯食ったんだけどね、連中ったら昼間っからワイン飲んでるわけ。さすがにヨーロッパってところは日本と違ってゆったりとしているというか、人生楽しんで生きているよね。日本人みたいにあくせくしてないんだよなぁ。」



海外の工場で現地社員に日本でやっているのと同じ部品の作り方を指導して、教え込むことは出来る。が、彼らの生活様式や国民性を日本人化することは出来ない。その逆もまたしかり。日本のサラリーマンがEU圏で法律によって保証されている毎年5〜6週間の休暇を得ることが出来ても、日本人の国民性ではその時間をどのように自分を楽しませリラックス/リフレッシュさせるために使って良いのかも分からないだろう。普段スーツ&ネクタイ姿で蟻のように働くサラリーマンの自殺件数が上昇するだけだ。

その一方で清潔さやサービスの質の高さで与える好感度を「輸出」する事は可能だと考えている。中国などはその典型的な輸出先であろう。もっとも、マネとコピーしか出来ない中国人の事だから全部自分たちだけのアイディアでやったのだと言い張るに違いないのだが。

12.02.2012

SFベイエリアの不動産事情2012

シリコンバレーの不動産価格が再び上がり始めた。2008年の経済の落ち込み以後2010年、いや2011年まで下がり続けていたのだが、ここ数ヶ月で急に上がってきている。

ニューヨーク・シティーの不動産や家賃がアメリカで最も高いのは周知の事実だが、サンフランシスコ・ベイエリアはニューヨーク・シティーに次いで二番目に高いとされる。アメリカの経済が落ち込み、リストラと雇用問題が全国的に蔓延する中、サンフランシスコ市内のアパートは95%以上の稼働率を保ち、家賃が高騰していた。車社会のアメリカではアパートと言えども通常自分の車の駐車スペースがあり使用も家賃に含まれている。サンフランシスコ市内のアパートはそれ程治安が良くない地域で駐車場も無い1LDKでも家賃は月3,000ドル前後である。

独身で交際中だがそれぞれアパートに独り住まいのカップルが居るとすれば、二人で6,000ドル前後払っていることになる。これほど家賃が高くなると仕事を持つ人たちは当然家を買う事を考え始める。これは一例だが、それが数ある原因の小さな一つではないかと考えている。

シリコンバレーにあるこの中流長屋でも「For Sale」のサインが出始めている。マンションやタウンハウスを売り、一戸建てへ移ろうとする人たちだ。売りに出されたここの物件は驚いた事に15日から30日間で売れているようだ。しかも複数のオファーもあると言う。

この長屋の一軒を買う際、「ここには最低五年住もう」と決めていた。2010年1月に入居した後も下降トレンドは収まらず、とてもじゃないが売れるような値段ではなかったが、ようやく買値より高く売れる価格まで上がってきたようなのだ。グッドニュースである。

2012年

やはり一年近くもブログを書く事がなかったな。「これは書いてもいいんじゃ?」というような話題は浮かんだ事は多いのだけれど、実際に書くという時間と心の余裕がなかった一年だったと言うか。ま、良いでしょう。気が向いたら書けば良いのだから。

音楽の趣味が変わってきた。多分に年齢が影響しているんだろうな。食事の量も少なくした。食事の内容もなるべく軽いもの、消化の良いものを選ぶようにし始めた。

という訳で、2012年は心身共に年齢を真面目に受け止めて生活に繁栄し始めた年、と言って良い。

今月末、54歳になる。

2.04.2011

ひっぱりうどん

バカなお笑い食べ歩きのDVDで、簡単に出来て美味しくてしかも冬には持ってこいのレシピを見つけた。

山形で食べているという「ひっぱりうどん」。仕事で遅くなって帰宅してから直ぐ作れ、ジャンクフードな感じがしない食事を楽しめる。

材料:

うどん(細目の乾麺)
納豆
鯖缶
卵
麺だし
鰹節
ネギ
七味唐辛子


作り方:

うどんを好みの硬さに湯がく。釜揚げで食べるので、硬めに湯がいてもいい。

大き目の茶碗かドンブリに好みの量の納豆を入れてよく混ぜる。

鯖缶を好みの量を加える。

他の材料も加えよく混ぜる。

釜揚げのうどんを放り込んで食べる。

冬にはお腹が暖まっていい感じになる!

12.06.2010

ブログのタイトルについて

このブログは以前「コテージライフ」だった。2010年1月、サンノゼに引っ越した後に「アメリカ中流長屋の生活」にタイトルを変えたのだった。日本の皆さんの中には「中流長屋」って何だ?と思われる方も多いだろう。

サンノゼ市内のウィロー・グレンというご近所にある通称「タウンハウス」と呼ばれる分譲住宅に住んでいて、「長屋」というのはその建物の形容名称と考えて頂ければ良いと思う。タウンハウスは一戸建てではない。日本でマンション、アメリカではコンドミニアムと呼ばれるビルの中の住居でもない。隣接する住居と両側の壁を共有してはいるけれど、横に長い建物をカマボコのように縦割りにして、地階からその上までが一世帯の住居であるもの、ということだ。

日本語ではどのような呼び方をするのかが分からなかったから「長屋」と呼ぶことにした。

「中流」の部分は、タウンハウスのオーナー、住人達が一般に中流階級だから。

そしてその多くは結婚直後か一人目の子供が生まれた若いカップル。そして僕のような中年の独身者達や、以前住んでいた大きな家を売って手頃で管理し易い小さ目の住居にダウンサイズして移り住んだ人たち。僕が住んでいるタウンハウスの住人達も例外無く中流階級だ。

まぁそんな感じでブログのタイトルを決めた、というわけ。

11.07.2010

早くも



車で10分も行かないところに、有名ブランドがずらりと並ぶ「サンタナ・ロー」というショッピングセンターと、大きなショッピングモールが隣通しに並ぶ一角がある。そこへ行くハイウエーの出口がこの週末からいきなり渋滞し始めた。クリスマスショッピングのシーズンが始まった。

ハロウィーンが過ぎたと思いきやリテールの店頭は早くもクリスマス商戦に向けて模様替えしている。僕がアメリカに渡った70年代、そしてその後20年ほどは、商店がクリスマスショッピングに備えてデコレーションを始めたのは11月末のサンクスギビング(感謝祭)の週末が明けてからだった。90年代になると、ハロウィーンが終わったらテレビでクリスマスモードのコマーシャルが出始め、近年に至ってはクリスマスのデコを見始めるのが異常に早くなり、大きなショッピングモールでは9月にはハロウィーン、サンクスギビング、クリスマスのデコが全部出てしまっているところさえある。つまりお化け、カボチャと紅葉と七面鳥、クリスマスツリーが同時に飾られるのである。

大手多国籍企業から個人経営の商店に至るまで、クリスマス商戦は死活問題であり、年に最も売り上げが高くあるべき時期となった。この時期に売り上げが芳しくなければ企業や商店は確実に潰れる。クリスマス、年末を含む四半期決算でその判定が下る。

アメリカの消費者はこの30年間で確実に年末消費パターンを変えられてしまった。洗脳されたと言っても良い。

日本のクリスマスも企業や商店の書き入れ時だろう。宗教的には無信仰に近い文化だから、物質が先行するのはやむを得ない。独身者がロマンチックなクリスマスイブを一緒に過ごす相手を探すのにやきもきしたり、彼/彼女のプレゼントを選んだり、カップルがホテルとレストランの予約に奔走したりする。テレビの連ドラでは必ずと言って良いほど「クリスマスのミラクル!」っぽい過剰演出のクライマックスがある。ライトアップスポットは即デートスポットやおばちゃんの集団がドカドカワイワイ出かける場所になる。バカバカしいと言ってしまえばそれだけだが、ある意味微笑ましくもあり、可愛くもある。日本化したクリスマスには宗教絡みの「嘘」が無い。キリストの誕生日もクソもなく、楽しく、出来ればロマンスに恵まれ、色鮮やかに楽しい季節。それで良いと思う。

アメリカというこの消費大国では、クリスマスは一年で最も無駄で最もエゲツナイ消費が行われる時期、それだけだ。が、キリスト教信者の数が多いためか、一応キリストの誕生日という、今では後付けとさえ思えるような名目上のカモフラージュを装う。

ガソリンの燃費が最悪のでっかい車を飛ばしてショッピングモール、ショッピングセンターを走り回り、入り口に最も近い駐車スポットをめぐってテンションを上げて競争したり言い合いになったり。モールの中では貯金があろうが無かろうがクレジットカードに全てをゆだね、クリスマス用に吊上げられた高めの値段でそれほど必要でもないものを買いまくる。その反面教会の礼拝にはちゃんと出て「クリスマスは感謝の季節。恵まれぬ貧しい人にも幸あるように」などと真顔で祈っている。恵まれない人たちにはこれっぽっちも恵む事がないか、税金の控除の対象になるという理由も手伝って適当に寄付するくらいだろうか。きれいごとはともかく、「クリスマス・キャロル」のスクルージのような連中がほとんどである。普段は性格がいい人でもクリスマスショッピングになるとストレスが貯まるのか、嫌な面を露呈することさえある。

僕に言わせてみれば「嘘だらけ」なのだ。クリスマスだから買い物しまくって、美味いもん食いまくって、彼/彼女とロマンチックに過ごして、子供が欲しいというものを買ってやって、ついでに自分が一番欲しいものもチャッカリ買って、友達や同僚とホリデーパーティーで飲んで騒いで・・・だけの方がむしろ賛同出来る。

一度で良いから日本で奇麗な女性と「ロマンチックなクリスマスイブ」なるものを過ごしてみたいものだ。

11.05.2010

季節の味


アメリカに住んでいて日本の人たちが羨ましいと思う事の一つに、「季節の味」がある。高価なものから定食屋で安くて美味しく食べることが出来るものまで、実に様々な四季折々の食材が店頭や家庭料理や居酒屋やレストランに出る。

「あぁ、これが食べられる季節になったか」という文句はちょっとオッサン臭くもあるけれど、若い人たちだってそう思っているに違いない。

さて、アメリカで食材を見て季節を感じることはそれほど無い。新鮮な野菜や果物は豊富だが、巨大なスーパーの膨大な食材を見渡しても年中同じように見える。魚は通常エゲツナイ冷凍物ばかりだし、新鮮な魚でも季節によって魚の種類が変わるようには見えない。季節を感じるのは、温室ものではなくて夏の陽を浴びて育ったトマトの瑞々しさを口の中で味わう時くらいだ。

別の言い方をすればアメリカの普通のスーパーで売っている食材は、そのほとんどが人口的に管理された環境から収穫を得ているものだということだ。年中欲しいものが手に入る、というのは眉唾物だと思っていい。さらに言えば、日本で食材を売っている店でそのような品物が増えているとすれば、それはむしろ「警告」と解釈した方が良いと思う。地元の市場、八百屋、果物屋を是非応援して頂きたい。

例外は「ファーマーズ・マーケット」と呼ばれる、区々で通常週一で開かれる野菜と果物の市場。農家の人たちが新鮮な収穫を売りに来る。カリフォルニアでは有機農法で育ったものが多く見られる。そこで手に入る食材は新鮮度でも健康度でも、そして美味しさにおいても一般のスーパーのそれとは格段の差がある。

秋は味覚が最も豊かな季節。大いに食べて下さい。

11.03.2010

写真


写真を撮るのは好き。旅をしていたときはキャノンのデジタル一眼レフとバカちょんで撮りまくって楽しんだ。旅を終えてカリフォルニアの生活に戻ってからは一眼レフを持ち歩く事は少なくなり、バカちょんをハイエンドのキャノンS90にアップグレードしたくらいで、ポケットサイズのカメラを持ち歩いてちょこちょこ撮っていただけだった。

初世代iPhoneが出た時はカメラの性能が全く良くなかったので使わなかったのだが、iPhone 4が出てからはそのカメラの性能と手軽さが気に入って大いに使っている。出かける時はiPhone 4とキャノンS90を持って状況によって使い分ける事が多い。

でも最近またちょっとした大きさのカメラを持ちたいと感じるようになった。デジタル一眼レフはなんか大きすぎ、また重すぎて動き難い。昨年辺りからサイズは小さいがレンズ交換も出来る製品が出ているようなのでちょっと考えている。

8.09.2010

ヒッピー60歳の誕生日


この土曜日、ヒッピーの友達マーティ・フェルドマンが60歳の誕生日パーティーを開いたので行って来た。当然の事ながらパーティーにやって来た150人ほどの家族と友人たちも彼と同年代、しかもヒッピーが多かった。このグループの中では、僕はまだ若い方だった。

この日の彼の出で立ちは70年代に着ていたと言うヒッピー姿。30年以上も前の服が今もちゃんと着れるというのが凄い。彼の半生を写真のスライドショーと音楽で綴ったビデオが流され、サイケデリックに装飾された一枚一枚の写真に笑いと歓声が溢れた。

マーティはニューヨーク州出身の典型的なユダヤ人。彼の学生時代は60年代でヒッピーによる平和運動が盛んだった時代。彼もフラワームーヴメントの本拠地であるサンフランシスコへと移って来た。カリフォルニア州で弁護士の免許を取得し、ヒッピーの立場から人権の尊重や公平な社会をモットーとして掲げた弁護士として活躍。その間も「人生を楽しむ事」を決して忘れず、グレイトフル・デッドのコンサートツアーを追いかけてアメリカ全国を旅し、多くの女性を愛し、大勢の友達を作った。一生独身男か、と思いきや55歳で「出会い系サイト」で知り合った女性と結婚。今も幸せに結婚生活を送っている。コンサートへ行く事も欠かさない。

実に自由と楽しい想い出に満ちた人生ではないか。そしてこれからも末永く彼の豪快な笑い声が聞けるだろう。

パーティーもそんな彼の生き方を反映してとても楽しいものだった。

8.05.2010

7月の出来事

6月29日から7月5日まで、毎年恒例のハイシエラ・ミュージック・フェスティヴァルへ行ってきた。その間、妹と双子の姪っ子たちはインディアナからカリフォルニアまでアメリカの西半分以上を運転で横断(!)。あの「ルート66」を辿ってその終点まで行き着いた後、太平洋沿岸を北上してサンノゼの我が長屋まで来てくれたのだ。

入居して以来この長屋には宿泊客など一人もおらず、猫のウィローと僕の静かな生活だったのだが、フェスから戻ったら妹親子に母も加わり、なんとまあ賑やかな事だった。

双子の姪たちも13歳。育ち盛りのティーンエージャーである。彼女たちとは今回初めてしっかり「会話」できたという実感があり、自分も初めて「おじちゃん」としての自覚が芽生えた。なかなかいい気分である。

働き者の妹は毎日とても美味しい夕食を作ってくれたし、インディアナへ出発する前にはかなりの量の料理を残しておいてくれた。この写真は餃子、ナスの煮浸し、カボチャ煮を暖めるだけで素晴らしい夕食の準備が出来た図。妹が残してくれた食物は完食して今はもう無い(涙)。

8.02.2010

選択肢の問題


熱中症で搬送されたり亡くなってしまう人たちが続出している日本。そんな天候の中で未だにスーツとネクタイで働かなければならないリーマンたち。スーツ+ネクタイ姿は武士の二本差しに相当するのだろうか?僕に言わせればあの暑さの中でさえ企業や雇い主が社員にそんな服装を強いる事自体狂気沙汰なのだが…

さて、そんな職場環境でリーマン侍たちには「選択の余地」はあるのだろうか?

この疑問を巡って義父と議論した。彼は日本ではそんな選択の余地はないと言う。僕にしてみれば規則で固められた日本の社会でも選択肢はあると考えている。そもそも、そのような職場環境を善かれと思って選んだのは本人なのだ。幼少時代から「進路、進路」と急き立てられて成長した結果である。あるいは、自己の向き、不向きを意識外に放り出して「有利な進路」だだけを優先してきた結果である。どんなに頭脳が優秀でも不向きな仕事をしていたら誰でも落ち込むしストレスも貯まるというのに。

客相手の企業職、主に営業の人たちは「お客さんと会わなければならないから」スーツ+ネクタイなのだろう。客の方が前もって営業目的で来社する取引先のスタッフに「この暑さですから服装はご自由に」と伝える事さえも期待できない社会なのだろうか?

自己の生活環境を自分でクリエイトすれば良い。そんな仕事が嫌だったら辞めれば良い。それが無理なら日本を出れば良い。もっとも、そこまで情熱と優先性を持って日本の夏の仕事着対策を考える人は少ないだろうけれど。

もっとも、この意見の対象となるのはクビにならないことを前提としている正社員に限定される。リストラされた多くの人たちにとって、そのような選択肢が無いという切羽詰まった状況は理解しているつもりだ。

あるいは、こんな意見は日本の社会を全く知らない僕の戯れ言にしか過ぎないのだろうか?

外から見た日本の社会は、今や常識破れの考え方を導入しない限り現状を打破出来ないところまで来ているように思うのだけれど、日本では「常識」の認識とそれへの執着が当然とされ個人にも要求されるから何も新しい動きは出てこない。

アメリカでは1960年代に「Tune In, Drop Out」という言葉が出てきた。自分の感性や考えに訴えるものにtune in(注目、賛同)し、それに合わない既成のシステムからドロップアウトせよ、という意味で僕はとらえているのだが、50年後の今、日本ではぴったりのメッセージではないだろうか?少なくとも先進国と呼ばれる国々の社会では、個人レベルでそれが可能になっている。

もっとも、かく言う僕自身もアメリカではただのリーマンのおっさんである。が、暑い日は短パン、軽いシャツ、草履で出社する。心地いい服装の方が仕事に打ち込み易く、効率も高い。会社側もそれを良く理解してくれている。

2.03.2010

新居

1月9日にサンタクルーズのコッテージを引き払い、空っぽの新居に住み始めた。その一週間後、前の家から出して一年以上倉庫に入れてあったものも全て新居に移し、倉庫を引き払って、晴れて全てこの家に移すことが出来た。

空っぽだった時に数枚写真を撮っておいたものから2枚ご紹介。

リビング/ダイニングからキッチンに向かって:



キッチンからリビング/ダイニングに向かって:



住み心地はなかなか良い。大きな違いと言えば、まず通勤が山越えを含めて35〜45分だったのが15分に短縮されたこと。これは非常に助かる!日本食の買い出し、日本語ビデオのレンタル、日本食だけでなく、インド、中華、タイ、ベトナムなどのエスニック料理店もシリコンバレー側に来るとどこにでもある。当然、住民たちの人種もサンタクルーズに比べて多種多様になる。今は雨期なのだが、木が倒れて交通に支障をきたしたり、停電もあまり無い。これらの件についてはシリコンバレーの勝ち。

が、サンタクルーズを離れて失ってしまったものも多い。新鮮な空気、海と山の風景、町中どこにでもある健康食料品店の数々、美しい星、明るい月の光。やはり自然に要素が多い。シリコンバレーは常にある程度のスモッグに覆われていて、それほど自分で感じるほどの空気の汚染はないものの、山からシリコンバレー側へ降りてくる度にそれを見ていたから「自分はあのスモッグの中に住んでいるんだ」と想像する事は容易である。

現在のところ、寝室、書斎、風呂場、リビング、キッチンなどは機能するようになって、自炊も始めたがまだまだ整理、整頓、処分するものは多く残っている。引っ越しした日も、その後でも感じた事なのだが、長い旅に出る前、その旅から戻った時、前の家を売って引き払った時にかなりの物を処分した事が、今非常に役に立っている。というか、その効果を感じる。つまり持ち物が少なくなって管理するのが容易になったのである。それでもサンタクルーズでシンプルでミニマルな生活を一年以上した後に見渡してみると「今必要ないもの」がいかに多いことか。今後またガンガン処分して行きたいと思っている。

1.06.2010

移転のお知らせ

お知らせです。

この度、馴染んで住んだサンタクルーズを離れ、再びシリコンバレーへ移ることになりました。

サンタクルーズは住む環境としては明らかにサンフランシスコよりも、シリコンバレーよりも良い場所です。海と山があり、水も空気も新鮮、街の大きさも人口も程よく、全体的にゆったりしています。が、シリコンバレーへの通勤は僕にとって時間的にも交通状況もストレスが大きく、以前から考えていた住む場所を決めるとなるとやはりシリコンバレーの方が効率が良いため、そちらの方に決めたのです。

引っ越し先はシリコンバレーの中心都市、サンノゼ市内のウィロー・グレン(Willow Glen)という一帯です。住宅地として定着している町で、小振りではあるけれどメンテが行き届いた可愛い家が多く、3ブロックほどのこじんまりした商店街がその一帯の中心となっています。職場の同僚や友達によれば、ウィロー・グレンは「良いご近所さん」という評判ですので、チョイスとしては良かったのだと思っています。以前住んでいたサニーベールからもそう遠くはない場所です。車で10分行くとサンノゼの日本町(ジャパンタウン)もあります。オフィスまでは約15分から20分。メジャーなハイウェーを使うため、渋滞もあるでしょうがサンタクルーズからの通勤路にある17号線の山越えをしなくていいのでストレスはかからないと思っています。

新居はいわゆる「タウンハウス」という型のもので、両隣に住人はいるけれど上下階には居ないフォーマットです。つまり、一つの建物(この場合は三階建て)を縦割りに切ったようなもの。一階は車が縦に二台入るガレージと玄関、二階はリビング、ダイニング、キッチン、ベッドルームひとつ、バスルームひとつ、三階はベッドルームがふたつあってそれぞれにバスルームが付いている、という構造です。階段の上り下がりを頻繁にする感じですが、アメリカでは普段全くと言って良いほど使わない脚を使うのだから良い事でしょう。先日冷蔵庫を入れましたが、男四人で16段の階段をようやく押し上げたという感じで、家具の出し入れには苦労しそうです。

今週末1月9日(土)にサンタクルーズのコッテージを引き払い、コッテージにある最小限の物を移して入居。翌週末1月16日(土)は別居以来倉庫に入れてあったものを全て出して新居に移し、それで引っ越しは完了する予定です。

今の時点で一番心配なのは猫のウィローです。新しい場所に馴染んでくれると良いのですが。サンタクルーズのように木々に囲まれた環境から住宅街へ移るのですからウィローにとって少なくとも移転当初はストレスになるでしょう。病気などせず、すんなり慣れてくれるとありがたい。

新居の住所をお望みの方はメールでお知らせ下さい。

このブログは「コッテージ・ライフ」と名付けましたが、その題名も変えなければならないでしょう。

今後もよろしくお願いします。

1.01.2010

謹賀新年2010

皆様、

明けましておめでとうございます。

旧年中は多くの方にお世話になり、サポートしていただき、あるいは一緒に遊んでいただきました。個人的には非常にハードな時期でもありました。と同時に自分の状況をよく考え、次のステップを歩み始めた回復と再出発の機会ともなりました。

今年も皆様のご健康と幸せをお祈りいたします。また、皆さんとお会いして楽しい時間が過ごせる事を願っています。

本年もどうぞよろしくお願いします。

さて、早速新年の1月から僕の生活に大きな変化があります。旧年中の12月初旬にタウンハウスを買い、こちらの年末休日の間を縫って準備をしてきましたが、今月半ばにサンタクルーズから新居があるシリコンバレー側のサンホゼ(またはサンノゼ)に移り事になりました。

サンタクルーズは海と山に囲まれ、空気も水も新鮮で、程よくこじんまりしていて、住民も一般にユニークで政治的にも革新的な考えを持っている人たちです。サンタクルーズと職場の間には悪名高い「17号線」で山を越えなければなりませんが、バスでも自分の運転でもこの通勤がかなりのストレスになりました。今回の引っ越しは「住む環境」よりも「効率」を選んだものだと言っていいでしょう。

新居からは通勤が短くなる事はもちろん、サンフランシスコやサンタクルーズの中間点なので平日の夜でも行ける距離です。ちょうど前の家の所在地と同じような感じ、と言えばあのサニーベールの家をご存知の方はお分かりになるかもしれません。

新居自体の様子については追ってお知らせする機会もあるでしょう。

だけど・・・「コッテージ・ライフ」ではなくなってしまう。このブログの題名はどうしようか???


2010年、元旦吉日

12.25.2009

小春日和のXmas

クリスマスの今日、ただいまの気温15℃、快晴、雲ひとつなし。

1991年、サンフランシスコ・ベイエリアに移ってきた最初の年のクリスマス。訪問中の両親とサンタクルーズのビーチにやって来て同じく小春日和のポカポカ天気の中、ビーチ沿いのカフェでラテを飲みながら夕日を見た。今日の陽気でその事を思い出していた。

この時期、アゲアゲ気分がクリスマスの朝まで続いてそれで終わりかというと、アメリカの場合はそうではない。クリスマスの朝にプレゼントを開き家族で大騒ぎした後でクリスマスの食事、そしてしばしのくつろぎの時間・・・それで済めばいいのだが、26日の早朝から「アフタークリスマスセール」なるものが始まる。クリスマスはキリスト教の祝日であると同時に消費者向け製品を提供するアメリカの企業やリテールにとっては生死が決まるヤマ場でもある。売れ残った品物は全て売り尽くす勢いで、ほんの2日前には考えられなかった値段でディスカウントセールが始まる。ショッピングモールのドアの前には26日の早朝5時から安売りを狙う人たちが並び始める。割引は10%〜15%なんてのは当たり前で25%から果ては75%の割引さえ見られる。

この不況でディスカウントショッパーは当然いつもより大いに違いない。静かなのは今日のクリスマスの日だけ。明日から再びクリスマス公害が始まる。泣き喚く子供たちを乗せたミニバンやSUVを駆るおっちゃん、おばちゃんたちはショッピングモールへ向けて見向きもせずに疾走する。そんな時はじっと家で本を読み、音楽を聴き、映画を観るのが一番である。

日本人の僕はやっぱり日本の正月の方が好きだ。

12.22.2009

「去年ルノアールで」

日本語ビデオレンタルショップに再び通うようになってしまった。この行動はおそらく僕の「アンチ・アメリカン・クリスマス的」姿勢が反映されているからに違いない。

この時期、アメリカ人の多くは仕事、帰省または訪問中の親族、クリスマスプレゼントのショッピング、クリスマスディナーの献立、クリスマスパーティーが頭の中でごっちゃになっている。巨大なバンやSUVの中では子供たちがチャイルド・シートで泣き喚く。

そんな連中のアブナい運転には付き合っていられないし、「クリスマス渋滞」に捕まるのも嫌だ。だから週末は外出を避ける。本を読むか、音楽を聴くか、ビデオを観る。

先日借りてきたビデオはそれまで見慣れず聞き慣れなかったもので、「去年ルノアールで」という一話10分の短編集のようなもの。これが僕にはバカ爆笑モノの大ヒットだった。

ウィキペディアによると、「広報番組『Eネ!』枠内で、2007年7月15日から2007年9月30日に毎週日曜深夜26:30–26:40(毎週月曜日未明2:30−2:40)にショートドラマとして放映された。全12話。」とある。月曜日の未明なんて見る人はいないだろうと思うのだが、色んなところで目にする人気俳優たちも数人出演している。面白半分に出演依頼を引き受けたのだろうか、バカなキャラになり切っていた。

番組の中でコーヒーは「ルノアール名物、ブレンドコーヒー」と呼ばれていたが、僕の記憶には「ルノアールのブレンドコーヒーは美味しかった」という印象は全くない。どちらかというと煮詰まった臭いのする濃い目のコーヒーという覚えがある。個人的に「ルノアールの名物」と言えばお替わりタダのトーストなんだけど。高校生の底なしの胃にはもってこいのスナックだった。

僕の中高時代にはルノアールは至る所にあった。駅前銀座と呼ばれる場所では頻繁に見かけた。今のドトールやスタバのようなものなのだが、それは所在地の話であって、店内は全く違う。「去年ルノアールで」ではあの懐かしいルノアールの店内の様子を的確に描写しつつ、現在の客層の様子を絡めて面白く表現している。

本来ルノアールは名曲喫茶で、従って流れているBGMはクラシックである。が、あれほど過激にクラシックとは無関係な客層が中心となっている名曲喫茶は他に例を見ない。店内は今の時代には信じがたいほど広く、一見馬鹿でかいキャバレーかダンスホールのようなインテリアで、通常照明は暗めだった。僕にとっては一人で行く類いの喫茶店ではなかったから、行く時はいつも同級生たちと一緒だった。

この番組の中では「ルノアールGinza」と表示されていたけれど、僕にはそれが本当に銀座にあるルノアールで撮影されたのかは分からない。前回日本へ行った時は新宿東口のディスクユニオン付近と大ガードから新宿西口に出て大久保方面に向かった所にあった。

今でもルノアールの店内では実に雑多な人たちが実にランダムな事をやっているのだろうか?次回日本へ行く際は必ず行こう、ルノアール。

7.10.2009

ハイシエラ2009 Part 1

今年もハイシエラ・ミュージック・フェスティヴァルへ行った。

フェスへ向かう道中で果樹園直営店でピーチを買う。これも楽しみのひとつ。この果樹園はいろんな種類のピーチが熟す時期が違うので、わざわざカレンダーを作って、いつ頃どの種のピーチが食べごろかを知らせてくれる。


昨年に続き、同じ独立記念日の連休週末にハイシエラの20倍の動員数のフェス、Rothburyがミシガンで行われたため、ハイシエラでのラインナップは少々寂しい気さえしていた。オーディエンスの数は明らかに少ない。参加したバンドの数も少なく、以前メルトーンがアメリカデビューしたAmericana Stageは今年は無く、野外のステージは3カ所。

でも現地に着くとそんな事はどうでも良かった。むしろ、北カリフォルニア独特のチルでゆ〜ったりとした雰囲気がいつもより体感できた。食事もトイレも列が無く、ステージ前のスペースもゆったり。


初日はフェス初参加のKinakoさんを案内しながらサイト内をぶらつきながらDelhi 2 Dublin、Marco Benevento Trio、ALO、John Butlerなどをチェック。天気は晴れでジリジリ来る日差し、気温33℃、湿気なし。う〜ん、これぞ北カリのフェス!

6.30.2009

プールサイドパーティ

先週末、普段は涼しかったり寒くさえあるサンフランシスコで30℃まで上昇。シリコンバレーは言うまでもなくもっと暑く、35℃にも達したらしい。夏到来!今年はちょっと遅い。

土曜日はサンタクルーズも30℃前後になるとの予想だった。ちょうどその日Billという友人が54歳の誕生日パーティを開くというので、ポットラックのために蕎麦サラダを作り、彼の家にあるプールで涼もうと水着も用意して行った。が・・・午後3時ごろから霧が流れ込んできて急に寒くなってしまい、プールで涼むどころではなくなった。

Billの自宅は以前ご紹介したサンセットウォークの散歩道からほんの3ブロック。海沿いだから霧の影響も受けやすい。

それでもドラムスを演奏するBillは仲間たちとプールサイドでジャズを演奏し、グリルでは肉や魚屋やコーンが焼かれ、ウェットバーではカクテルを作り、みんなが持ち寄った料理をテーブルに広げてとても賑やかなパーティになった。

6.22.2009

久しぶりのSF

金曜の夜はサンフランシスコへ。友人四人がやっているバンド、Five Eyed handが他のバンドの前座を務めるというので応援に行ったのだ。久しぶりのSFは強風に見舞われて寒かった!いつもの事なんだけど。

その夜はアランという友人宅に泊まり、土曜日は午頃からHaight-Ashburyを散策。Lower Haightに車を停めて、Upper Haightまで急な坂を上って行く。


夕方近くからMill ValleというGolden Gate Bridgeの北に住む家族が開く「夏至パーティー」へ。ちょっとアブないけど運転中にiPhoneでGGBを撮ってみた。


音学好きの友達が集うパーティーは、笑い声が絶えない大家族のように楽しくて和める。

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