2.09.2014

東北3

朝、仙台から新幹線で一関へ移動。一関駅の改札を一度出て、駅前で宿を探す。改札口から歩いて1分以内にビジネスホテルがあった。フロントで部屋を確保し、バックパックを置いて手荷物だけで駅へ戻る。

一関 > 気仙沼 > 陸前高田、という行程で被災地を訪れたかったのだ。

午前10時過ぎ。再び駅構内に入ると、気仙沼行きのローカル線は2分ほど前に発車してしまっていた。この路線は2時間に1本しかない。仕方なく、いったん切符を清算して駅前の喫茶店に入り、次の12時過ぎの列車を待つことになった。コーヒーとサンドイッチでブランチ。

12時数分前に再び一関駅に入り、気仙沼行きのホームに降りると、列車は既に待機していた。乗客もまばらなその列車に乗り込むと、その数分後に発車した。動き始めた列車からホームの反対側に停まっていた列車の行き先表示に「気仙沼」とあるのを見た。

ん?あれが気仙沼行き?するとこの列車は一体どこへ?

自分が乗っていたのは盛岡行きだった。旅の途上での久々の大チョンボ。



一関−盛岡間の在来線はほぼ1時間に1本。さらに一関から気仙沼への次の列車は午後2時頃。直ぐ一関へ引き返しても2時間近く待たなければならない。しばらく盛岡行きに乗り続け、程よい時間に引き返す事にした。暫し冬の東北、農閑期の農地、山と川の風景を味わう。



そして午後2時過ぎ、ようやく気仙沼行き大船渡線に乗った。日没時間を調べると、午後4時過ぎには日が沈む事が分かった。陸前高田に着く頃は真っ暗であろう。やむなく陸前高田行きは断念。震災直後、気仙沼を襲った津波の映像を数を多く観た。その印象は陸前高田と同様、強く残っている。気仙沼だけでも見たかった。

大船渡線は山谷を縫ってゆっくりと進む。杉や檜の植林がなされた山、ご先祖さまのお墓、コンビニも無い無人駅、豊かな山の自然と古い伝統やしきたりが感じられる村…

そして日が傾いて沈み始める頃、ようやく気仙沼に到着した。ミスだらけの一日だったが、全く暗くなってしまうまで少々の時間はありそうだった。