ウィローが他界してしまった。2月14日の事だ。
この3年ほど老化で健康維持が困難になっていた。特に昨年の末頃からはトイレを使わなくなったり、近づいても反応しなくなったり、動きが鈍くなったりだった。トイレを使わなくなった分、便と尿はランダムな場所でするようになってしまい、ほぼ毎日床を拭くことになってしまっていた。自宅の床がカーペットではなく、耐水性のフローリングだったのが幸いだった。
ウィローを飼い始めたのは、1994年、前妻と結婚した年の暮れに友人から引き取ってからだ。サンタクルーズの山の中にあるフェルトンという町に住むその友人はすでに2匹の猫を飼っていたが、寒い夜に突然現れたウィローを引き取るのは困難だということで前妻に引き合わせた訳だ。とても小柄な猫だったため、最初は子猫かと思ったのだが、健康診断のために連れて行った獣医は彼女の歯を見て少なくとも1歳で子猫ではないと言う。猫同士の接触はだいたい夜の時間帯にあるから「夕食」を食べさせる事で家に戻すようにしなさいとの獣医の指示に従って、毎晩家に呼び入れる習慣となった。文字通り「籠入り娘」である。
以来17年間、多くの友達、知人、近所の住人に親しまれ愛されたウィローだった。おとなしい、人懐っこい猫で、女性の声に惹かれる傾向があった。頭や首や耳の周りを触ると直ぐにゴロゴロ言いだす。腹を撫でさせるのは信用出来る人間だけだが、僕がその一人だったのはとても嬉しい気がする。毛並みは一生を通じてとても良く、触った感触の柔らかさは他の猫には感じないものだった。帰宅してウサギの毛のようにソフトなウィローを撫でるととても落ち着いた気持ちになった。寝るときは前妻と僕の間に陣取り、ベッド占領率は前妻50%、ウィロー25%、僕が25%というのが普通だった。
2004年4月末に前妻と1年以上の世界一周バックパッキングの旅に出た時、自宅を空にしていく過程でやはり何かを感じたのだろうか、いつもなら毎日裏庭の塀を乗り越えてお隣さんの家を訪問していたのだが、出発する前の数日間は家の敷地を離れなくなった。旅の間、ブッシュ政権下のアメリカやシリコンバレーが作り出す新技術などにはあまり関心が無かった我々二人だったが、ウィローだけは頻繁に思い出し、元気にしているだろうかと心配になった。
永眠させる前の週末はずっと二人で一緒に過ごした。パナマに住んでいる前妻ともビデオ・スカイプで対面した。前妻はおそらくどうして安眠させなければならないのかと疑問に思っていたのだろう。が、実際にビデオで彼女の状態を見て理解したようだった。
そして当日、ウィローをペットタクシーの箱に入れて獣医の診察所に向かう途中、僕の心中は全く穏やかではなく、混乱していた。自宅の側の住宅街を通過中、首輪をした猫が車にはねられて死んでいるのを見た。心騒ぐ中で、少なくともウィローはあのような死に方をしなくてもいいんだ、とぼんやりと思った。
診察所での安楽死は本当に安らかな、静かなものだった。
問題はその日帰宅してからだった。ウィローのベッド、食事、トイレはダイニングスペースに置いていた。そのスペースが空虚で悲しかった。今後そのスペースをどのように使おうかなどと無理に考えようとしたが無駄だった。ソファに座っていても癖で彼女の様子を見ようとそちらを向いてしまうこともあった。そうして2週間が過ぎ、ようやく心が落ち着いてきたところである。
ウィローの想い出は尽きない。猫アレルギーの僕が17年間も猫を飼ったというのも驚きだが、小柄な彼女が少なくとも18歳まで生きたのも驚きだ。正に家族の一員。
ありがとう&さようなら、ウィロー。