8.15.2010

Rush 2010


先週の月曜日、マウンテンヴューのショアライン・アンファイシアター(野外劇場)であったRush(ラッシュ)のコンサートに行ってきた。大学在学中以来、常にチェックして来たなじみ深いバンドだ。彼らのライブを初めて観たのは1984年の秋、オハイオ州のデイトン。「Grace Under Pressure」というアルバムをリリースした時のツアーだった。

今年のツアーは、Rushの代表作、代名詞と言われるアルバム「Moving Pictures」を全編最初から最後まで演奏するというネタが組み込まれたもの。

Rushのファンは圧倒的に男性が多い。その理由はいろいろある。(1)レパートリーにラブソングが全くない。これは決定的。(2)ベーシスト/リードヴォーカルのゲディー・リーの歌声を嫌う女性が多い。(3)各バンドメンバーはそれぞれの楽器においてロック界を代表する優れた演奏家であるため、彼らに憧れる男の子/オッサンが多い。(4)サイエンス・フィクションや社会情勢にインスパイアされた歌詞が多く、それに共感するのが男性である事。しかもコンピューターナードもなぜか惹かれるらしい。

つまりRushはあまり女の子たちと縁がないロッカーキッズ、シャイで頭が良くて眼鏡をかけていて本を読むのが好きな男の子たち、どこかナード/ギーク指向な男の子たちが成長する過程でずっと聴き続けるバンド、のようである。

バンドメンバー本人たちも今年57歳。今も斬新な新曲を書いてレコーディングを続けている。ライブでも、バックドロップの大きなスクリーンに映し出された彼らの表情が実に楽しそうで幸せそうである。目玉の「Moving Pictures」も素晴らしい演奏だった。ファンはアルバムを全部丸暗記していて、歌詞はもちろんスネアの入れ方まで口で再現しながら聴いていた。

ニューアルバムとリリース後のツアーがまた楽しみ。

8.09.2010

ヒッピー60歳の誕生日


この土曜日、ヒッピーの友達マーティ・フェルドマンが60歳の誕生日パーティーを開いたので行って来た。当然の事ながらパーティーにやって来た150人ほどの家族と友人たちも彼と同年代、しかもヒッピーが多かった。このグループの中では、僕はまだ若い方だった。

この日の彼の出で立ちは70年代に着ていたと言うヒッピー姿。30年以上も前の服が今もちゃんと着れるというのが凄い。彼の半生を写真のスライドショーと音楽で綴ったビデオが流され、サイケデリックに装飾された一枚一枚の写真に笑いと歓声が溢れた。

マーティはニューヨーク州出身の典型的なユダヤ人。彼の学生時代は60年代でヒッピーによる平和運動が盛んだった時代。彼もフラワームーヴメントの本拠地であるサンフランシスコへと移って来た。カリフォルニア州で弁護士の免許を取得し、ヒッピーの立場から人権の尊重や公平な社会をモットーとして掲げた弁護士として活躍。その間も「人生を楽しむ事」を決して忘れず、グレイトフル・デッドのコンサートツアーを追いかけてアメリカ全国を旅し、多くの女性を愛し、大勢の友達を作った。一生独身男か、と思いきや55歳で「出会い系サイト」で知り合った女性と結婚。今も幸せに結婚生活を送っている。コンサートへ行く事も欠かさない。

実に自由と楽しい想い出に満ちた人生ではないか。そしてこれからも末永く彼の豪快な笑い声が聞けるだろう。

パーティーもそんな彼の生き方を反映してとても楽しいものだった。

8.05.2010

7月の出来事

6月29日から7月5日まで、毎年恒例のハイシエラ・ミュージック・フェスティヴァルへ行ってきた。その間、妹と双子の姪っ子たちはインディアナからカリフォルニアまでアメリカの西半分以上を運転で横断(!)。あの「ルート66」を辿ってその終点まで行き着いた後、太平洋沿岸を北上してサンノゼの我が長屋まで来てくれたのだ。

入居して以来この長屋には宿泊客など一人もおらず、猫のウィローと僕の静かな生活だったのだが、フェスから戻ったら妹親子に母も加わり、なんとまあ賑やかな事だった。

双子の姪たちも13歳。育ち盛りのティーンエージャーである。彼女たちとは今回初めてしっかり「会話」できたという実感があり、自分も初めて「おじちゃん」としての自覚が芽生えた。なかなかいい気分である。

働き者の妹は毎日とても美味しい夕食を作ってくれたし、インディアナへ出発する前にはかなりの量の料理を残しておいてくれた。この写真は餃子、ナスの煮浸し、カボチャ煮を暖めるだけで素晴らしい夕食の準備が出来た図。妹が残してくれた食物は完食して今はもう無い(涙)。

8.02.2010

選択肢の問題


熱中症で搬送されたり亡くなってしまう人たちが続出している日本。そんな天候の中で未だにスーツとネクタイで働かなければならないリーマンたち。スーツ+ネクタイ姿は武士の二本差しに相当するのだろうか?僕に言わせればあの暑さの中でさえ企業や雇い主が社員にそんな服装を強いる事自体狂気沙汰なのだが…

さて、そんな職場環境でリーマン侍たちには「選択の余地」はあるのだろうか?

この疑問を巡って義父と議論した。彼は日本ではそんな選択の余地はないと言う。僕にしてみれば規則で固められた日本の社会でも選択肢はあると考えている。そもそも、そのような職場環境を善かれと思って選んだのは本人なのだ。幼少時代から「進路、進路」と急き立てられて成長した結果である。あるいは、自己の向き、不向きを意識外に放り出して「有利な進路」だだけを優先してきた結果である。どんなに頭脳が優秀でも不向きな仕事をしていたら誰でも落ち込むしストレスも貯まるというのに。

客相手の企業職、主に営業の人たちは「お客さんと会わなければならないから」スーツ+ネクタイなのだろう。客の方が前もって営業目的で来社する取引先のスタッフに「この暑さですから服装はご自由に」と伝える事さえも期待できない社会なのだろうか?

自己の生活環境を自分でクリエイトすれば良い。そんな仕事が嫌だったら辞めれば良い。それが無理なら日本を出れば良い。もっとも、そこまで情熱と優先性を持って日本の夏の仕事着対策を考える人は少ないだろうけれど。

もっとも、この意見の対象となるのはクビにならないことを前提としている正社員に限定される。リストラされた多くの人たちにとって、そのような選択肢が無いという切羽詰まった状況は理解しているつもりだ。

あるいは、こんな意見は日本の社会を全く知らない僕の戯れ言にしか過ぎないのだろうか?

外から見た日本の社会は、今や常識破れの考え方を導入しない限り現状を打破出来ないところまで来ているように思うのだけれど、日本では「常識」の認識とそれへの執着が当然とされ個人にも要求されるから何も新しい動きは出てこない。

アメリカでは1960年代に「Tune In, Drop Out」という言葉が出てきた。自分の感性や考えに訴えるものにtune in(注目、賛同)し、それに合わない既成のシステムからドロップアウトせよ、という意味で僕はとらえているのだが、50年後の今、日本ではぴったりのメッセージではないだろうか?少なくとも先進国と呼ばれる国々の社会では、個人レベルでそれが可能になっている。

もっとも、かく言う僕自身もアメリカではただのリーマンのおっさんである。が、暑い日は短パン、軽いシャツ、草履で出社する。心地いい服装の方が仕事に打ち込み易く、効率も高い。会社側もそれを良く理解してくれている。