7.17.2011

3・11

2011年3月11日。

京都の小学校時代の同級生からのメールが日本から届いた知らせの最初だった。普段はこちらの日本語放送を観る事も、テレビ自体観る事も無い生活である。が、その日からほぼ1ヶ月、911同時テロやハリケーン・カトリーナの時と同じように、ネットに張り付いてありとあらゆる情報に目を通し、動画を観た。そして911やカトリーナの時と同じように精神的に落ち込んだ。

前妻との不和期、別居、離婚、そして離婚後を通じて会っていたカウンセラーにも4回通うことになったが、今回も鬱には至らず薬を当用する事無くほぼ通常の気分に戻すことが出来たのは幸いだった。だが、それほどではないにしても少々の落ち込みは震災/原発事故発生以後コンスタントに継続している。これは日本人であれば地球上のどこに住んでいても同じであろうと想像する。

震災/原発事故発生から1週間以内には、「正しいと思われる情報源」を探し、見つけてそれらをフォローし始めていたし、福島原発でメルトダウンが起こり、その状況は悪化し続けているという認識もその時期から既にあった。

日本国内に住む日本人との温度差を感じてきたのはもちろんこれが初めてではないが、今回は今までとは全く異なった「差」を感じる。その理由にはいろいろあるのだろう。311から4ヶ月以上経過して、その温度差なるものの原因についてある程度自分なりに理解してきたことがある。それらを少しずつでも文章にまとめてみたいと考え始めたのは、ここ数日の事である。もっとも、今回だけでは書けないので数回に渡ってまとめてみようと思っている。

今ひとつだけ言えるのは、今ほど精神的に孤独を感じたのは1980年代終わりにシアトルに住んでいた時以来だという事だ。しかもあの頃感じていた孤独の理由は、ただ単にシアトルには初めて住んだこと、当然友達もいなかったこと、おそらくシアトルの雨が多く曇りがちな気候に影響されていたであろう事、それくらいである。今回感じているのはそれとは全く異質のものだ。